Yet Another Brittys Wake

the wonderful widow of eighteen springs

3月のライオンとか

羽海野チカさんという方がコーラスで漫画を連載していることはさすがの私も気づいていたが、連載長編を途中から読むということはあまりしないので、気づいただけでいつの間にか連載は終わっていた。たぶんそのときに読んでいたのは「プライド」と「キャリアこぎつねぎんのもり」だったかと思う。ただ、絵柄としては羽海野さんの絵は私の趣味の範疇にあり、なんとなく気にはかかっていた。

それからだいぶ時間がたって、コンビニの店頭にいきなり数巻、単行本の表紙を並べて今から思うとあれはチェーンぐるみの販促だったんですね、マンガ大賞を受賞したかしないかがらみだということは『銀の匙』がやはり同じように並んだので後で気づいた。というわけで昨年の初夏だったと思う、『3月のライオン』を遅ればせながら知り、そして久々にどっぷり漫画作品にのめりこむということになった。

 

最初は新刊が出れば漫画喫茶へいって読むというくらいだったのだが、そのうち連載を追うようになり、作中の元棋譜を探し(将棋漫画なのである)、はては自分でも将棋を勉強するようになった。チェスは触ったことがあるが本将棋を指すということは実ははじめてである。むろんかなり早くに関心はもったのだが、あいにく周りに指す人がいなかった。家で取っていた新聞が毎日だったこともあり、みる将棋ファンとしては私は実はかなり早くに将棋に触れたのだが――最初にファンになった将棋指しは中原名人(当時)で次に年齢も近い林葉直子女流名人(やはり当時)だった――それだから逆に例の騒動ではだいぶがっかりしてその後すっかり将棋からは遠ざかっていた。結婚した人がチェスをのぞけば古典的ボードゲームをしなかったことも、将棋から遠ざかったままでいることを可能にしたのかもしれない。

 

そんな、ややひりつくような気持ちを『3月のライオン』の比較的冒頭に出てくる姉弟子の造形は思い出させるのだが、しかしその不快な刺激を中和してなお余りある豊かさが作品世界の中には拓けていて、その細やかな人物造形のうちには、人間がもっているある種のやりきれなさ、どうしようもなさを、全肯定はしないものの所与として受け止める作者の視線を感じさせた。作品は主人公の孤独と世界との和解すなわち主人公の癒しを描くビルドゥングスロマンだが(その意味で『3月のライオン』はおそらくは聖杯の物語でもあるように予感する)、その道行きのなかで、私もまた、将棋への思い、あるいは当時抱いていた棋界への憧れを含めた過去の色々な思いと和解できたように思う。