Yet Another Brittys Wake

the wonderful widow of eighteen springs

第53期王位戦七番勝負、あるいは藤井さんのこと

朝夕は涼しくなってきたが、この数日はなぜか微妙に昼夜がずれていたので昼はどうだったかわからない。不覚である。

不覚であるというのは、王位戦七番勝負第五局(棋譜中継)が昨日おとといとあったからで……いや観戦に備えて前の日は早く寝たんですけどね。早く寝すぎたせいかそれとも八月も下旬というのにいまだにがんばっている油蝉のせいなのか、朝の五時四時に目が覚めてしまい、対局開始こそみたもののその後は三時ぐらいまで爆睡し、結果、対局のほとんどを見逃して終わった。まことに不覚である。あるいは夏の疲れが出たのかもしれないが、ともかくそうやって昼のほとんどを寝てすごした一両日であった。

観戦といっても現地へいったわけではない(それはあまりに不覚すぎる)。ネット観戦である。日本将棋連盟が提供する棋譜の中継と、主催の新聞三者連合が提供する静止画中継(一分ごと更新)を併用して、居間のラップトップからのんびり眺めている。もっとも第五局は徳島なので、ここからは二時間ほど、どうせ昼過ぎまで寝てしまうのであればその間車中で昼寝ときめて現地へいけばよかったが、それは後知恵である。

七番勝負というのはテニスの最大7セットマッチと同じで、つねに七局の対局が行われるとは限らない。最初にどちらかが四番勝ったら、それで終わりである。なので羽生王位藤井挑戦者が3-1で臨んだこの第五局は、先手の羽生王位が勝てば防衛してそれで今期の王位戦はしまいとなる。どちらかといえば今回藤井九段に肩入れしていたわたしとしては藤井九段勝っての第六局陣屋での対戦をみたかったが、それはいまからいってもただせんないだけだろう。中継の粗い画像でも最後のほうになると藤井九段の表情が固くなりときにすこし肩が落ちたようになって、みているこちらもつらい気持ちにさせられた。全ての精力を振り絞って何かを考え出そうとしている男の人の顔というのは、ときに怒っているようでもあり悶えているようでもあり、そうして傍でみているしかないこちらの気持ちもしんとちぢこませる。盤を挟んで相対している羽生王位が端然と座しているほどに、その落差が痛ましくも感じられた。

感想戦のコメントが終局後ほどなくネットにも上がってきて、それによると第一日目(王位戦七番勝負は持ち時間5時間の二日制である)封じ手直前に先手羽生王位が指した手ですでに趨勢は決していたらしい。後手藤井九段は二日制には向かないと最近みずからがいっていた藤井システムで臨み、なのでなんらか新しい研究があるのではと思われたが、しかし感想戦によるとその研究範囲にこの△1五角は入っていなかったようである。静止画の中継からもこのとき藤井九段がなにか虚を突かれたようになり、そして懸命に考えているさまが伝わってきた。その日はそのまま藤井九段が封じ手をして終わったのだが、素人の瞥見の限りでは、後は一方的に羽生王位が盤を圧倒していったような勝負であったようにみえた(なにしろ昨日二日目も封じ手開封のしばらく後、午後三時すぎくらいまで寝てしまったものだから、二日目の進行についてはまだ細かくみていない)。投了の時刻はわりと早く、投了図からはいまだ一手詰修行中の私でさえわかるような順で後手玉がきっちり詰まされて、もうどうしようもなかったことが痛いほど感じられた。

この七番勝負は七月の第一戦からほぼすべてをラップトップにはりついて観戦していた。藤井九段を応援しながらみていたこともあいまって、なのでそれがこのように終わったこともなにやら夢のように思われる。昨日は投了のあと、なんだかわれから虚脱して、食事の支度をする気もおきなくて夜遅くなってしまい、ひさびさに近所の定食屋へ夕飯に出た。ネットのやりとりを眺めた限りでは、藤井ファンには同じようなぼんやりした夕べを過ごした人も多かったように思われる。悲しみにくれるというよりはむしろ祭のあとの虚脱感に似て、希望を残しつつよい勝負が見られたことへの感謝を感じながら、昨日の将棋はともかく番勝負全体について惜敗を受け止める、そんな発言があちこちでなされていた気がする。

番勝負のどの対局をとっても、見ごたえのあるよい勝負だった。素人目にも、やはり序盤からあまりにも一方的な展開はつまらなくて、そして互いがせりあっていても両方の作戦があまりにもわかりやすすぎるようなのも(両方がよほどの戦術家でない限りは)やはりつまらない。ところが今回は、防衛側の羽生王位には多言を要さなくてもよいだろう、かつて20代での七冠独占時から20年近くたつがいまだに棋界の第一人者、最近でもやはりタイトル戦の棋聖戦を勝ち、タイトル戦勝利数歴代1位の81勝としたばかりである。藤井九段もいまは無冠だが、やはり20代で居玉のままの四間飛車という独創的な戦法(素人が最初に将棋で教わることのひとつは居玉、つまり玉を開始時のままに置くことを避けることである)を開発し竜王位を3連覇、その後も独創的な将棋で評価が高い、四間飛車のスペシャリストである。面白い勝負になるだろうという戦前の予想を裏切らない対局が続いたと思う。

実は自分が将棋をみなくなった頃が、若い藤井さんが新開発の藤井システムで快勝し猛威をふるっていたときと当たるので、なので今年になり将棋を再びみるようになってから驚いたことのひとつは藤井九段が順位戦B級2組(以下B2)にいるということであった。いや当時だってまだA級にはあがっていなかったわけだが、しかしA級にいるというのは風の便りで聞いていて――藤井九段がモデルといわれる『3月のライオン』の辻井九段だってA級である――なので文字通り驚愕した。なんでそんなことになってるんだというのが正直な気持ちであった。順位戦A級とB級1組(以下B1)を往復する強豪というのはいて、有名どころだと加藤一二三元名人はなんどかこれをやっている。なのでB1にいるというならまだわかるのだが(A級の下位2名とB1の上位2名は、毎期ごとにいれかわる)、なんでまた藤井さんがB2なの、なんでそんなことになってるの、もう衰えちゃったの、となんでどうしてが頭をかけめぐった。もう、というのは藤井九段は羽生二冠と同年だからで、いわゆる羽生世代のひとりにあたる。羽生世代の他の強豪には森内名人、佐藤王将、郷田棋王とタイトルホルダーが揃っていて、彼らはいまも順位戦A級に所属している。わたしのおぼろげな知識では藤井九段もその一画をなしていて、だからB2というのは、最初知ったときにはいいようのない気持ちがした。

強かった人、全盛期のプレイをいくらかでも知っている人が明らかに弱くもろくなるのをみているのはつらい。そうして藤井九段についても私は失礼ながら同じ危惧を抱いたのだが、王位戦挑決で渡辺竜王を破って挑戦権を得たあたりから実際の最近の藤井九段の将棋をみるようになり、やっぱりこの人(たまに脆いけど)でもまだまだ強いじゃん、と思うようになった。王位戦のさなかに行われた、これは有望若手の豊島七段(タイトル挑戦経験あり)との順位戦B級2位の対局、互いの最近の成績をつきあわせただけでは正直苦しいかともおもわれたのだが、しかし終わってみれば藤井九段の快勝であった。スポーツ同様、将棋棋士もまた、戦歴の最後に一瞬の光芒を放つということはないわけではないが、藤井九段についてはそういうことではなくて、また再び第一線に戻るのだと信じてよい気がする。