Yet Another Brittys Wake

the wonderful widow of eighteen springs

憩の四季

さて過日の竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第一局は糸谷六段が制し、大きな一勝を挙げたわけだが、その朝のことである。Twitterを関連ツイートを探してブラウズしていたところ、こんな記述をみつけた。

 

 ええと、これは、阪大坂の憩なんですかね。と訊くのはあの界隈にはもうひとつ憩という店があって、こちらは旧R171沿いのお好み焼き屋なのだが、しかしまあたんに憩といえば阪大坂の定食屋のほうをふつうは指すので、いや自分で訊けよって話だが、わたしは鍵っ子なのでですね。それで誰か @handashougibu さんに訊いておくれでないかいとフォロワーさんに頼んだのだが、スルーされました。みんな、ひどい。いや、自分で確かめにいけばいいんだけど、憩はわたくしの青春そのものなんですよ!だから閉じていたらたぶんものすごいショック受けるので、怖くて確かめに行く気になれない。心の準備をしてからでないと絶対無理だとおもうんですね*1。なのでどなたか教えてくださるとありがたい。

 私が院生時代困窮を極めていたことは昔なんどかブログに書いたが(例として なんかみんな笑っているようだけれど - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake)、しかしそれでもたまに外食することはあって、価格(安い)と地理的条件(学校から遠くない)とパフォーマンス(がっつり食べられる)を満たす店というのはさすがに石橋にもそうは多くなく、そして憩は誰の目からみてもこの点総合一位の座を長く守っていた。守っていたと過去形で書くのはいまも開いているのか自信がないからで、いまも営業を続けているなら憩が第一位はまず間違いのないところだろう。20年前、「憩で先輩に700円おごってもらった」といえば、「それはすごいご馳走ですね」と即答されるのが相場であった。憩で700円といえば、ごはんに味噌汁に肉か魚の皿がひとつと野菜の煮たのかポテサラかはたまた切り干し大根の炊いたのの一汁二菜で、そしてこのおかずの量が半端ないのである。二人で分けてちょうどいいくらいのがどごーんと大皿に入ってやってくるので、それでいつも憩の前は学期中は店の外まで人が並んで一時間待ちは当たり前なのであった。相席が当然なのはいうまでもない。

しかし憩の魅力は、安さだけでも味だけでもなく、憩のおっちゃん*2の懐かしい気分のする笑顔ではないかと私は思う。見知った顔をみつけたときに人が自然に浮かべる笑顔で、おっちゃんはいつもわたくしたちを迎えてくれた。おっちゃんは下宿屋をやっていた時期もあって、おっちゃんを慕う人も多かったように聞いている。あの笑顔がみたくて通っていた人というのも結構いるのではないだろうか。帰りしな、勘定をすませて送り出されるときに「おおきにどん」とおっちゃんが独特な節でいうのを聞きたくて、わたくしも憩に通っていた時期があった。

憩に来るのは学生が主だったが、大学を出たあとも引き続きあの辺りに住んでいる人や、あるいはたんに憩がどうしても懐かしくなってふらっと現れる人もいて、店にはけっこう学生というには歳を重ねている風情の客もちらほら見えた。

所帯をもってわたくしの憩通いもだいぶん減ったが、しかし夫婦揃って忙しい時期にはけっこうお世話になった。ほかにもお世話になった店はいくつかあるが、憩はなにしろ大学から近かったのと、家庭料理が食べられることと、そしてやっぱり安いのが魅力的だった。あまり混んでいるときには、そして疲れていてとにかくすぐに座りたいときなどには、遠慮してよそへいったこともあるけれども、小一時間を厭わないでられるときには、憩はまず最初に候補に挙がる店だった。古い木の大きなテーブルに他の人たちと相席で付いて、平らでない床でやはり古い木の椅子をぎしぎしいわせて、優しい味のかぼちゃの煮付けや大豆やにんじんをいれて少し甘く炊いたひじきの炊いたんを二人で分けて、そうしてやくたいのない話をした。話の内容を書いてもいいが、なんでもない(とわたくしは思っている)話をネットニュースに書いたら「夫婦の会話を勝手に公にした」とあれがむくれたことがむかしあったので――ってあれは死んでるんだからこれが昔の話なのは断るまでもないですね、なので具体的な内容は控えておく。

憩で有名なのは客が絵付けをする湯呑みだが、以前、十年前くらいに憩のおっちゃんに伺ったところ、当分作る予定はないということなのでいまはどうしているか知らない。昔定期的に作っていたときには、そのときどきいた客が絵付けをして、卒業のときに持たせてもらうということだったが、これはたぶんに運もあって、わたくしは憩の湯呑みをもっていない。わたくしに憩を教えてくれた同級生は、この湯飲みを学部生のときに作ったとかで、たいそう自慢していたが、彼女が学部を出たときに湯飲みをもらったのかそれとも院を出たときにもらったのかはわたくしは覚えていない。どなたかこの辺の細かい話をご存知の方は教えてください。

憩は季節感を大事にする店で、正月はじめて店をあけるときには一杯の振る舞い酒があり、節分には鰯の炊いたんがメニューに載り歳の数とはいかないが煎り豆の振る舞いがあり、そうして夏にはかき氷があった。シロップだけなら100円、宇治や小豆は150円で、宇治金時は200円だったかもしれない。だいぶ長いこといっていないので忘れている。そうして夏休みにはさすがの憩も並ばずに座れるので、近所に住んでいたわたくしたち二人は、夕食が終わると涼みがてら憩に氷を食べにいったりしたものだった。

だからわたくしたち二人が旧医短の後にできた駐車場で花見をしていると、反対側にいたご家族が憩のおっちゃんのご一家だったというのもそう驚くことではなくて、平生季節の行事を大事にしているからこそ、店でも気を配って学生たちにその雰囲気を味合わせてくれたのだろう。どちらが先に気が付いたのか忘れたが、あいさつをする店でみるのと同じような、いつもの懐かしい感じのする笑顔で、おっちゃんが頭を下げてくれた。遠目にみたお重がずいぶん立派にみえたのを覚えている。

そしてわたくしたち二人が待兼山で花見をしたのは、それが最後になった。

 

ちょうど十年前、研究生活に戻ろうと私があくせくしていた頃、なので大学の図書館へ通う機会も増えて、憩で夕飯を取ることも再び多くなっていった。おっちゃんは変わらず笑顔で迎えてくれた。そんな日が数ヶ月つづいたろうか、ある日勘定を渡そうとしたわたくしにおっちゃんがいった。「お兄ちゃん、忙しいんですか。最近来られませんね」

わたくしはそのときどんな顔をしたのだろうか。泣きそうになった覚えはない。ただ胸に、というよりはみぞおちに、何か鈍いものを当てられたような気がして、息が一瞬できなくなった。どのようにいえばいいのか迷ったが、わたくしは一息に云った。「あの人はなくなりました」

おっちゃんの表情が消え、その眼差しは何もみていないようだった。釣銭のいらないちょうどの額をその手になすりつけるように渡して去るわたくしの背に、いつものことばが投げかけられたが、その声に力がなかったような気がするのはわたくしの記憶が細部を捏造しているのだろうか。それ以来、憩には行ったことがない。

*1:これは文字通りショックを受けるので、たとえばあぐら屋の閉店を知ったとき、同じビルに入っていた豆腐屋の閉店を知ったとき、どちらも一二週間寝込んでいました。

*2:店主とかマスターとか書きたくない、憩のおっちゃんは憩のおっちゃんである。みなにそう呼ばれていたし、なのでここでもそう呼ばせていただく。