Yet Another Brittys Wake

the wonderful widow of eighteen springs

すり鉢で作る冷たいスープ三種―ガスパチョ・きゅうりのスープ・納豆汁

日付が変わる前につっぷすように意識を手放して数時間後に目がさめ、しばらくはそれで動いているのだが寝が足りなくて昼までまたつっぷす、という妙な生活リズムがこのところ続いているがみなさまいかがおすごしですか。やはり暑いから、目が覚めてしまうのかなあ、って夜中が一番涼しいんですけどね。どうせなら暑さが極まる午後の早い時間に寝るのがいいような気がするが、世の中はままならない。

昨日の朝ごはんにサラダをと思いたって、出してきたトマトが形を保っているのがふしぎなくらいによく熟れていたので、考えをかえてスープにした。飲むのは一日寝かせてからで、というわけできょうのブランチはガスパチョに手製のオレンジドリンクを添えて。これが案外腹持ちがよいので食事をするのもだるいような暑い日には好適である。

ガスパチョ(二食分)

材料:

  • トマト:2つ
  • ピーマン:1つ
  • きゅうり:半分
  • たまねぎ:8分の1
  • にんにく:1かけ
  • オリーヴ油:大さじ1
  • 酢:大さじ1
  • パン:8枚切り1枚
  • 塩:適量
  1. パンを手でちぎって細かくし、水(分量外)につけてふやかしておく。
  2. たまねぎをみじん切りにする。にんにくをすりおろす。残りの野菜はさいの目に刻む。
  3. すり鉢に1のパンと2の野菜を移し、オリーヴ油・酢・塩を加えて混ぜる。
  4. 水を入れる。
  5. 味をみて、塩がきついようならレモン汁(分量外)を少量加えて味を調える。
  6. ふたをして冷蔵庫にいれ、一日寝かせる。

この工程だとすり鉢を使う意義があまりないが、元気のある人は3と4の間で「すりこぎで材料をまんべんなくすりおろす」と幸せになれる。私はここは妥協して手をはぶくことにしている。フードプロセッサーをおもちの方は使われるのもよいだろう。なお取り椀も冷やしておくのを忘れないこと。ガラス器の場合いざとなれば5分冷凍庫にいれるだけでかなり冷やせる。

きゅうりの余った半分は、きのうの昼ごはんにやはりスープにして食べた。これもすり鉢を使う。

きゅうりの冷たいスープ

材料(一皿分):

  • きゅうり:半分
  • 豆乳:150ml
  1. きゅうりはすり鉢ですりおろす。端のほうは細かいみじん切りにしてあとで薬味にちらす。
  2. すりおろしたきゅうりに豆乳を加えて混ぜる。
  3. 塩を加えて味を調える。あれば胡椒・クミンシード等を加えるのもよい。
  4. 冷蔵庫にいれてよく冷やす。
  5. 皿に盛り、1の刻んだきゅうりをちらして出来上がり。

さて今晩はガスパチョがまだあるからいいとして、明日は何を作ろうかなあ。きゅうりと青しそがまだあるので、納豆汁にするんだろか。これは檀流クッキングで覚えた冷っ汁を精進料理へと変形したもので、冷っ汁については宮崎県人の皆様が熱く語っておられる各ウェブサイトをご参照いただくとして、すり鉢で白ゴマをすった後、底にみそをぬったのを焼いて、薄い輪切りにしたきゅうりと刻んだ納豆を加え、氷水か出汁を冷やしたのをいれたのに繊切りの青しそをちらし、そして冷っ汁同様ごはんにかけてたべる。たっぷりと食べたいので大振りの椀にごはんを少し盛って出すのがよく、そして冷えたのを楽しむにはごはんはやはり氷水で洗って水飯(すいはん)にして出すのがよい。ふだんはチンのご飯で平気な私であるが、水飯については、これはチンしたご飯ではなく、炊きたてをきんきんに冷えた水で洗ったのがよいとおもっている。ただし水飯はすぐ饐えてしまうのでその都度食べる量を洗うのがよろしかろう。ご飯を冷水で洗うというとときに驚かれるのだが、水飯というのは少なくとも平安時代からある品で、『今昔物語集』本朝世俗部巻第二十八の笑い話が有名だが、『枕草子』『源氏物語』にも言及がある。有職故実によれば夏の大臣饗応では水飯を供するのがならわしだったそうで、食欲のすすまない折には試していただきたい一品である。

 

 

 

 

 

第53期王位戦七番勝負、あるいは藤井さんのこと

朝夕は涼しくなってきたが、この数日はなぜか微妙に昼夜がずれていたので昼はどうだったかわからない。不覚である。

不覚であるというのは、王位戦七番勝負第五局(棋譜中継)が昨日おとといとあったからで……いや観戦に備えて前の日は早く寝たんですけどね。早く寝すぎたせいかそれとも八月も下旬というのにいまだにがんばっている油蝉のせいなのか、朝の五時四時に目が覚めてしまい、対局開始こそみたもののその後は三時ぐらいまで爆睡し、結果、対局のほとんどを見逃して終わった。まことに不覚である。あるいは夏の疲れが出たのかもしれないが、ともかくそうやって昼のほとんどを寝てすごした一両日であった。

観戦といっても現地へいったわけではない(それはあまりに不覚すぎる)。ネット観戦である。日本将棋連盟が提供する棋譜の中継と、主催の新聞三者連合が提供する静止画中継(一分ごと更新)を併用して、居間のラップトップからのんびり眺めている。もっとも第五局は徳島なので、ここからは二時間ほど、どうせ昼過ぎまで寝てしまうのであればその間車中で昼寝ときめて現地へいけばよかったが、それは後知恵である。

七番勝負というのはテニスの最大7セットマッチと同じで、つねに七局の対局が行われるとは限らない。最初にどちらかが四番勝ったら、それで終わりである。なので羽生王位藤井挑戦者が3-1で臨んだこの第五局は、先手の羽生王位が勝てば防衛してそれで今期の王位戦はしまいとなる。どちらかといえば今回藤井九段に肩入れしていたわたしとしては藤井九段勝っての第六局陣屋での対戦をみたかったが、それはいまからいってもただせんないだけだろう。中継の粗い画像でも最後のほうになると藤井九段の表情が固くなりときにすこし肩が落ちたようになって、みているこちらもつらい気持ちにさせられた。全ての精力を振り絞って何かを考え出そうとしている男の人の顔というのは、ときに怒っているようでもあり悶えているようでもあり、そうして傍でみているしかないこちらの気持ちもしんとちぢこませる。盤を挟んで相対している羽生王位が端然と座しているほどに、その落差が痛ましくも感じられた。

感想戦のコメントが終局後ほどなくネットにも上がってきて、それによると第一日目(王位戦七番勝負は持ち時間5時間の二日制である)封じ手直前に先手羽生王位が指した手ですでに趨勢は決していたらしい。後手藤井九段は二日制には向かないと最近みずからがいっていた藤井システムで臨み、なのでなんらか新しい研究があるのではと思われたが、しかし感想戦によるとその研究範囲にこの△1五角は入っていなかったようである。静止画の中継からもこのとき藤井九段がなにか虚を突かれたようになり、そして懸命に考えているさまが伝わってきた。その日はそのまま藤井九段が封じ手をして終わったのだが、素人の瞥見の限りでは、後は一方的に羽生王位が盤を圧倒していったような勝負であったようにみえた(なにしろ昨日二日目も封じ手開封のしばらく後、午後三時すぎくらいまで寝てしまったものだから、二日目の進行についてはまだ細かくみていない)。投了の時刻はわりと早く、投了図からはいまだ一手詰修行中の私でさえわかるような順で後手玉がきっちり詰まされて、もうどうしようもなかったことが痛いほど感じられた。

この七番勝負は七月の第一戦からほぼすべてをラップトップにはりついて観戦していた。藤井九段を応援しながらみていたこともあいまって、なのでそれがこのように終わったこともなにやら夢のように思われる。昨日は投了のあと、なんだかわれから虚脱して、食事の支度をする気もおきなくて夜遅くなってしまい、ひさびさに近所の定食屋へ夕飯に出た。ネットのやりとりを眺めた限りでは、藤井ファンには同じようなぼんやりした夕べを過ごした人も多かったように思われる。悲しみにくれるというよりはむしろ祭のあとの虚脱感に似て、希望を残しつつよい勝負が見られたことへの感謝を感じながら、昨日の将棋はともかく番勝負全体について惜敗を受け止める、そんな発言があちこちでなされていた気がする。

番勝負のどの対局をとっても、見ごたえのあるよい勝負だった。素人目にも、やはり序盤からあまりにも一方的な展開はつまらなくて、そして互いがせりあっていても両方の作戦があまりにもわかりやすすぎるようなのも(両方がよほどの戦術家でない限りは)やはりつまらない。ところが今回は、防衛側の羽生王位には多言を要さなくてもよいだろう、かつて20代での七冠独占時から20年近くたつがいまだに棋界の第一人者、最近でもやはりタイトル戦の棋聖戦を勝ち、タイトル戦勝利数歴代1位の81勝としたばかりである。藤井九段もいまは無冠だが、やはり20代で居玉のままの四間飛車という独創的な戦法(素人が最初に将棋で教わることのひとつは居玉、つまり玉を開始時のままに置くことを避けることである)を開発し竜王位を3連覇、その後も独創的な将棋で評価が高い、四間飛車のスペシャリストである。面白い勝負になるだろうという戦前の予想を裏切らない対局が続いたと思う。

実は自分が将棋をみなくなった頃が、若い藤井さんが新開発の藤井システムで快勝し猛威をふるっていたときと当たるので、なので今年になり将棋を再びみるようになってから驚いたことのひとつは藤井九段が順位戦B級2組(以下B2)にいるということであった。いや当時だってまだA級にはあがっていなかったわけだが、しかしA級にいるというのは風の便りで聞いていて――藤井九段がモデルといわれる『3月のライオン』の辻井九段だってA級である――なので文字通り驚愕した。なんでそんなことになってるんだというのが正直な気持ちであった。順位戦A級とB級1組(以下B1)を往復する強豪というのはいて、有名どころだと加藤一二三元名人はなんどかこれをやっている。なのでB1にいるというならまだわかるのだが(A級の下位2名とB1の上位2名は、毎期ごとにいれかわる)、なんでまた藤井さんがB2なの、なんでそんなことになってるの、もう衰えちゃったの、となんでどうしてが頭をかけめぐった。もう、というのは藤井九段は羽生二冠と同年だからで、いわゆる羽生世代のひとりにあたる。羽生世代の他の強豪には森内名人、佐藤王将、郷田棋王とタイトルホルダーが揃っていて、彼らはいまも順位戦A級に所属している。わたしのおぼろげな知識では藤井九段もその一画をなしていて、だからB2というのは、最初知ったときにはいいようのない気持ちがした。

強かった人、全盛期のプレイをいくらかでも知っている人が明らかに弱くもろくなるのをみているのはつらい。そうして藤井九段についても私は失礼ながら同じ危惧を抱いたのだが、王位戦挑決で渡辺竜王を破って挑戦権を得たあたりから実際の最近の藤井九段の将棋をみるようになり、やっぱりこの人(たまに脆いけど)でもまだまだ強いじゃん、と思うようになった。王位戦のさなかに行われた、これは有望若手の豊島七段(タイトル挑戦経験あり)との順位戦B級2位の対局、互いの最近の成績をつきあわせただけでは正直苦しいかともおもわれたのだが、しかし終わってみれば藤井九段の快勝であった。スポーツ同様、将棋棋士もまた、戦歴の最後に一瞬の光芒を放つということはないわけではないが、藤井九段についてはそういうことではなくて、また再び第一線に戻るのだと信じてよい気がする。

レモネードとか

そういやご報告が遅れましたが、昨夏壊れた冷蔵庫はようよう廃棄し、正月に新しいのを買いました。冷凍室・野菜室・冷凍室の3ドア式。台所のリフォームをすぐするつもりで居間にいれたところまではよかったが、そのあと少し風邪をひいたらめんどくさくなり、いまは部屋を冷却する機能の一端を担っています。いや部屋をまた片付けなければならんでのう……

 

さて氷が作れるようになったので、喜んで毎日色々に飲み物をこさえて飲んでいます。そこで昨年苦労していたイスラエル式レモネードですが、私はついにバックエンジニアリングに成功した と日記には書きたかった。実際には挫折して、いくつかのレシピを参照して、現在のレシピにたどりつきました。ミントなしバージョンでイスラエル式といいたくない気がするが、レモネードはレモネードだ。うまいよ。

材料(一杯分):

  • レモン汁:大さじ1
  • 砂糖:大さじ1
  • 水:100ミリリットル
  • 氷:適量

つくり方:

 レモン汁と砂糖を混ぜ、少量の水を加え、砂糖をよく溶かしてから残りの水と氷を加えます。

 

上の材料からまるわかりですが、砂糖が結構多いです。私は調子に乗って日に三度これを飲んで一週間で1kg肥えました……でも今年の夏は暑かったし疲れているときにはすっぱいものが欲しくなるしさ…………。イスラエルのカフェでは、グラスで頼むとクラッシュアイスを詰めたのに注いでよく出てきました。カラーフで頼める店もあって、これは1リットルくらいので出てきて3、4杯分くらい取れます。どの店でもミントがたっぷり使ってありました。体重の増加に気づいてからは、レモネードは自粛して、かわりにオレンジジュースベースの自家製ドリンクを飲んでいます。

材料:(一杯分)

  • オレンジジュース:50ミリリットル
  • レモン汁:大さじ1
  • 水:100ミリリットル
  • 氷:適量

つくり方:

 グラスに液体を全部注ぎ、氷をいれてわしわしっとかきまぜたら出来上がり。

こちらはオレンジジュースの自然な甘みがおいしいと思います。お試しを。

 

今週の常備菜―ナムルあれこれ

最近はちっと元気も出てきたので自炊も少しする。日曜の夜に常備菜を作って、豆腐とか納豆とかタコの酢の物とか、あまり火を使わないものをおかずにインスタントの味噌汁でごはんを食べる。ごはんは炊くこともあるが、たいてい冷凍したのをレンジであたためる。

火を使いたくないんですよう……暑いんだもの……

常備菜はなるべく一度火を通す。それもしっかり火を通したのがよいようだ。ロシア風サラダを一度作ったが少々多く作りすぎて、最後のほう数日置いてからあけてみたところ、しっかりと腐敗していました。ぜんたいにとてもきれいなほんわりとしたピンク色になっていてね……。日を置きすぎたこともさることながら、材料にさらしたまねぎを使ったのが敗因なのかなと思っている。長期つくりおきにはピクルスなどをいれたほうがよいかもしれない。

あと色々作りすぎるとつい残してしまい、かといって種類が少なすぎると毎日同じものばかりで飽きてしまいやはり自炊から遠ざかってしまうので、何種類をどのくらいの量作るのか、ことにこの季節は一人の自炊は兼ね合いが難しい。どうしても二人暮らしの適量を作る癖が抜けなくて、ついつい多く作りすぎて腐ったものをすてしょんぼりすることからはいいかげん卒業したいのだけど。ことに常備菜がすべて腐っていた日にはとてもがっかりして、しばらく自炊する気自体がどこかへいってしまう。いまの体調と食欲だと、二種類を相応の量作って、一種類をあと一二回食べるくらいの量作るのが自分にはいいようだ。

というわけで今晩作った/ているのは以下の三種類。

  • もやしのナムル風(一食分)
  • ブロッコリーとオクラのナムル風(四食分)
  • きゅうりのピクルス(五本弱)

ナムルはきほん『檀流クッキング』のレシピで作ってきたのだが、最近は手抜いてごまはすらず散らすだけ、ネギは昨今高いので省略、しょうがはチューブのですませている。にんにくはたまたまあるのでこれはそのつどおろし金で擂る。しょうがとにんにくのおろしたのにゴマ油を加え、塩・米酢・場合によりしょうゆを足して味を調えたところへ野菜をいれて合える。もやしはしょうゆをいれずブロッコリー~はしょうゆをいれてみた。「ブロッコリーとオクラのナムル風」は3月のライオンからで、ブロッコリー1把とオクラ1袋(10本)でだいたい四食分が作れ、一週間くらいもつ。もやしのナムルが一食分なのは夕飯の余り野菜の片付けだから。きゅうりのピクルスは初挑戦で、食べられるのは一週間後くらいだろうか、結果がわかりしだいご報告したい。今週はこのほかナスの焼き味噌をつくるつもりだったが、なすと青じそのナムルがおいしいと聞いたので、かえて明日つくってみることにする。

 

なお話はかわるが、実は前回のエントリを書いた時点では詰将棋を三日ほどさぼっていて、その夜にやってみたところ、スピードが下がる下がる、ピーク時の一手詰5分80問から5分30問前後になってました。この辺も楽器演奏や言語の学習と似たものを感じる。大人になってから始めるにはやはりつらいものがあるのですね。たんに毎日やらなければレベルが維持できないというだけではなく、休んだときの落ち方も実に激しい。ただ言語学習は実用に供しようと思うと維持しなければならない一定のレベルがあるけれども、ゲームの稽古は弱い自分を受け入れてしまえばさほどしゃかりきにならずともよいので、条件は逆に厳しくはないかな、と思う。

お風呂詰将棋、もといドリルの愉しみ

以前にお風呂勉強法というものを紹介し、はてなブックマークニュースでも参照していただいたのだが、当の本人はそのときにはまったくお風呂で本を読むということをやめていました。すいません。

なにしろ温熱じんましんがたびたび起きるようになったので、ゆっくりお風呂にはいるということ自体が厳しく、長風呂と温泉が大好きな身としてもつらいのではあるが、ともかくもお風呂で何かを読むということをこの一二年はしておりませんでした。とはいえ最近ようやく蕁麻疹は治まったので、またぞろ風呂で物を読むという習慣を取り戻しつつあります。といっても語学熱はぴったりとまっており――覚える速度より忘れる速度のほうが速くなり、新しい言語を習う気力がだいぶんそげてしまった――いま読んでいるのは肩の凝らないものがほとんど。漫画、ライトノベル、そして詰将棋

詰将棋は読むものじゃなくて解くというべきでしょうか、ともかく風呂のなかで一題一題解いて行く。いくつか解いて少しのぼせたくらいでやめて、外へでて水を飲んだりするのは語学教材を読んでいたときと同じです。なぜいま詰将棋かというと、3月のライオンにはまったのを契機に将棋を最近勉強しだしたから。きほん私は将棋はみるだけなのですが、それでもある程度自分にも棋力があるほうがより面白くみられるだろうと考えました。そして識者によれば詰将棋は終盤力を培う基本的な勉強法のひとつなのだそうです。

実は四十過ぎて初詰将棋です。むろん詰将棋というパズルがあることは知っていて、しかし一般の雑誌や新聞に載っている詰将棋は七手詰とか九手詰とかで、みてもわからない。というわけで自分には縁がないものと長らくぼんやり思っていたのですが、しかし詰将棋が必須の勉強法と聞き、また世の中には数十、あるいは百手を越える難解な詰将棋もあれば、五手とか三手とかの短い詰将棋も両方あることは遅ればせながら最近知った。そこで最初は三手詰をウェブなどで探して解いていたのですが、これに時間がかかる。解けることは解けるが一題に五分とか十分とかかかってしまう。そしてウェブサイトを探すのも結構手間である。1手詰ハンドブックそこでつらつら考えて、効率的な学習のためには、もっと基礎的なところから、そして集中的にやる必要があると思い、一手詰の本を買いました。いくつか良書があるようですが、私が買ったのは浦野真彦さんの『1手詰ハンドブック』です。浦野さんの詰将棋について『3月のライオン』中で触れられていたのも購入の動機になったかもしれません。

5月頃に買って、心がけとしては毎日、実際には数日間が開いたりしながら、それでもなるべく一日に何題かを解くようにしています。いまは三周目です。

一手詰というのはつまりはどこかに一度王手を掛ければ相手玉が確実に詰むという、せいぜいが十くらいの選択肢のなかからたかだかひとつの正答をみつける極めて簡潔なパズルですが、『1手詰ハンドブック』では一冊にその一手詰ばかり300題が収録されています。詰将棋に慣れた人であれば、おそらく一桁の繰り上がりのない足し算引き算あるいは九九といった基本的な算術問題と同じくらいの難易度なのでしょうが、これが、はじめてだと、ようよう解きません。はじめて『1手詰ハンドブック』を全問解き終えたときは、300題を解き終わるのに毎日風呂のなかで数問づつ、2ヶ月強かかりました。風呂のなかで解くので5分に4問から8問といったところでしょうか。そのあと駒の動き方を学習するための最初の80問だけを二周ほど解いて、改めて全問解いたところ、これは1週間で解き終わりました。いま三周目なのですが、これは1度に、ということは5分で80問前後が解けるペースで進んでいます。これまでの経験からこの「同じ問題集を繰り返し解く」のがそれなり効率のいい学習法だろうとは予期していましたが、ここまで急激に目に見えて進歩するとは自分でも予想していなかったので、少々驚いています。むろん既にやったことがある問題だからすぐ解けるという側面はあるのですが、いままでどうあっても1題に5分や10分費やしていた三手詰が、初見のものであっても大体は1分前後で解けるようになってきているので、詰将棋回路が脳のどこかに着々と構築されているのだろうと思います。

ドリルを繰りかえし解く、という学習法はロケット開発で有名な糸川博士の学習法の本で知りました。中学生くらいのときだったでしょうか。本は小学受験の算数の勉強法に関するものでしたがたぶん今は絶版でしょう。この勉強法の骨子はふたつあり、

  1. 同じ問題集を繰りかえし解く。間違った問題には印をつけておき、2周目はそれをピックアップして解く。こうやって繰り返し以前に間違えた問題を解く。
  2. 解き方がわからない問題は、答えをすぐ見る。見た上でその答えにたどりつく解法を考える。なので解答が問題のすぐ下に書いてある問題集が理想的。

他の教科でもある程度は共通するのですが、算数や漢字といったドリルを大量にやることに意味があるような領域にこの方法はとくに向いているように思います。英語だと、文法問題や単語テストのようなところでしょうか。なお、お風呂はなにぶんお風呂ですので残念ながら筆記用具は持ち込んでいません。そのため効率はやや悪いのですが、詰将棋については正答できた問題もそうでない問題も、同じように繰り返し解いています。受験勉強のドリルと違い根をつめて能率を追求しないといけない状況でもありませんしね。

逝く者は

自分が乗った列車が廃止されるのは寂しい。夜行であればまして寂しい。

Twitterで #乗ったことのある夜行列車 というのをみて書き出そうとしてみたが無論130字では収まらなかった。そして日本の鉄道網の趨勢を反映して、そのほとんどはすでに廃止された列車であった。ハッシュタグを覗くと、他の人も事情は同じなのだろう、それはなにか列車の過去帳めいてみえた。

死んだ夫には各駅で行く長時間の旅よりは新幹線の味気ない快適さを好む惰弱さがあって、なので一緒にいたときには座席夜行の旅をしたことがない。とはいえ基本は辛抱強くこちらの趣味に付き合ってくれるところがあって、なので彼がおのずからは思いつかないような長距離列車の旅にも、ことに海外では同行してくれた。そして昼間はなるべく観光旅行したく、もともとが夜行が好きな私が立案するからには、汽車の移動は多く夜行列車の旅となった。

日本ではだいぶ減った夜行列車はまだ欧米では盛んに運行されているが、それでも不採算路線の整理はこまめに行われているようで、ふと気になって調べてみると、彼と最初に乗った夜行列車、ドイツ鉄道とオーストリア鉄道が共同運航する City Night Line の Semper 号(ドレスデン―ウィーン)はだいぶん前に廃止されていた。

自分が乗った夜行が消えるのは寂しい。人と乗った夜行列車が消えるのは、まして寂しい。

3月のライオンとか

羽海野チカさんという方がコーラスで漫画を連載していることはさすがの私も気づいていたが、連載長編を途中から読むということはあまりしないので、気づいただけでいつの間にか連載は終わっていた。たぶんそのときに読んでいたのは「プライド」と「キャリアこぎつねぎんのもり」だったかと思う。ただ、絵柄としては羽海野さんの絵は私の趣味の範疇にあり、なんとなく気にはかかっていた。

それからだいぶ時間がたって、コンビニの店頭にいきなり数巻、単行本の表紙を並べて今から思うとあれはチェーンぐるみの販促だったんですね、マンガ大賞を受賞したかしないかがらみだということは『銀の匙』がやはり同じように並んだので後で気づいた。というわけで昨年の初夏だったと思う、『3月のライオン』を遅ればせながら知り、そして久々にどっぷり漫画作品にのめりこむということになった。

 

最初は新刊が出れば漫画喫茶へいって読むというくらいだったのだが、そのうち連載を追うようになり、作中の元棋譜を探し(将棋漫画なのである)、はては自分でも将棋を勉強するようになった。チェスは触ったことがあるが本将棋を指すということは実ははじめてである。むろんかなり早くに関心はもったのだが、あいにく周りに指す人がいなかった。家で取っていた新聞が毎日だったこともあり、みる将棋ファンとしては私は実はかなり早くに将棋に触れたのだが――最初にファンになった将棋指しは中原名人(当時)で次に年齢も近い林葉直子女流名人(やはり当時)だった――それだから逆に例の騒動ではだいぶがっかりしてその後すっかり将棋からは遠ざかっていた。結婚した人がチェスをのぞけば古典的ボードゲームをしなかったことも、将棋から遠ざかったままでいることを可能にしたのかもしれない。

 

そんな、ややひりつくような気持ちを『3月のライオン』の比較的冒頭に出てくる姉弟子の造形は思い出させるのだが、しかしその不快な刺激を中和してなお余りある豊かさが作品世界の中には拓けていて、その細やかな人物造形のうちには、人間がもっているある種のやりきれなさ、どうしようもなさを、全肯定はしないものの所与として受け止める作者の視線を感じさせた。作品は主人公の孤独と世界との和解すなわち主人公の癒しを描くビルドゥングスロマンだが(その意味で『3月のライオン』はおそらくは聖杯の物語でもあるように予感する)、その道行きのなかで、私もまた、将棋への思い、あるいは当時抱いていた棋界への憧れを含めた過去の色々な思いと和解できたように思う。